モラ夫のどうしても許せなかったところのひとつに、
差別と偏見思考が強い
ということがありました。
あまり詳しく書くと、気分を害される方がいらっしゃると思うので、具体的な発言内容は控えようかと思います。
夫は社会的弱者や世間の少数派の人間に対して、極端な偏見を持っていました。
対人関係においては、常に「優」か「劣」かと決めないと気が済まない体質、損得勘定をいつも働かせ、
この人間は自分より「下(=劣)」で、付き合うと「良いこと(得)」があるから付き合いをする・・・という人でした。
そんな優劣だの損得だけで人間関係を決めていた夫には、「友達」という存在がいないということを、結婚からだいぶ経って知りました。
付き合っているときは、そのことには全く気が付きませんでした。
あまり友達の話をする人ではなかったけれど、友達がいないことには気が付きませんでした。
結婚式にもそれなりの人数を呼んでいたけれど、それは会社の上司と同僚がほとんどを占め、友達と呼べる人はいないようでした。
結婚からしばらく経っても「友達」の話は出てきませんでした。
代わりに出てくるのは、会社の人の悪口でしたが、それよりも多かったのは、
ネットニュースに流れる芸能人の不祥事や、事件の犯人についての話でした。
そのニュースのコメントの隅から隅までを読み、信憑性の不確かな一部の偏ったコメントを信じ込み、ニュース当事者をひどく言っていました。
毎日毎日聞かされる話がこんなことばかりで、たのしく食事したいのにスマホ片手にひたすら誰かをののしっている。全然楽しくなくて、私たちの関係はなんなんだろうと悩みました。
自分たちの生活の中の、ちょっとしたことを相談しても、「適当にやっといて」と言うのに、やったあとは決まって文句を付けられる。
だんだんと悪口の矛先が私に変わっていることもわかっていました。
そうやって自分が優れた人間であると思い、認められたかったのでしょうけど、
だんだんと可愛そうな人に思えるときもありました。
誰かを見下して、
「自分は誰よりも優れている」
ずっと本当に夫は自分のことをそう思っているんだと思っていました。
しかし最近、そうやって誰かを下に見ることで自分の奥にある不安や劣等感を埋めていた・・・ということを本を読んで知りました。
でも、持って生まれた身体のことや、病気によってそういった身体や生活になった人、年齢と共に変化したことなど、
望んでそうなった訳でもなく、避けられないことに対しての悪口は聞いていて吐き気がしました。
たまに一緒に出掛けても、そういう”自分より劣った人”を探していて、見つけたときには、
すぐに嬉しそうに話してきました。
「うわ~、あいつ、○○だよ」
結婚式でも笑わなくて、写真屋さんも困ってた人なのに、このときばかりは不気味に笑うんです。
あの笑顔は本当にゾクッとします。
こういった生活の中、私は自分がどんな人間なのか,,,もしかしたら偽善者の悪い人間なのかわからなくもなり、辛かったです。
自分の中にある
”何かを見下して優越感にひたる”気持ちや、
”受け入れられないもの”はあると思います。
ただ、それが生き甲斐のような夫の話は聞いているのも嫌でしたし、人間として軽蔑するようになってしまいました。
そんな中、もう本当に家族としてというか人間として「この人は無理だ」と思える発言があり、私の気持ちはどんどん離婚へ進んでいきました。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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akari