「離婚という言葉は自分の辞書にない」
このような言葉を何度か聞いたことがある。
別に批判する訳ではない。
ただ、私だって離婚するつもりで結婚した訳ではない。
辞書にあるとかないとかそんなこと考えず、当然続くものだと思って結婚した。
結局、憎み合い、二人で話し合うことも出来なくなり調停を通して離婚。
この経験を教訓としてこれから生きていこう、と思ったことは確かだ。
そんな私は離婚成立から早2年が過ぎ、その前の調停期間や別居期間も含めるとその倍くらいの期間を“ひとり親”“シングルマザー”としてやってきたことになる。
しつこいくらいこう言われる。
(子どもに恥じない親になる為)
「頑張って」
もちろん、今頑張ってないからとそういう意味で言っている訳ではないだろう。(と解釈している)
ただ、私は離婚したけれど、したけれど、
これだけは自身を持って言える。
子どものために頑張っている。と。
子どもの為に離婚は避けたいとずっとずっと考えてきたけれど、事件があり(「こんな父親ならいなくていいだろう」という結論に至った)離婚した。
その前から変わらず子どもを一番に考えてきている。
そこを「頑張れ」と言われると、あんまり良い気分ではない。
もちろん、激励の意味で言ってくれている人がほとんどだと思います。
でも簡単に頑張れ、って言うものじゃないなって思うようになりました。
子どもが小さい頃、園に送っていくと、子供に必ず「頑張ってね」と言って送り出す親がいた。
あまりよく知らないが、私からみてその子どもは人の顔色を伺ってあまり感情を出さない子に見える。(笑っているのも泣いているのも見たことがない)
毎日行くところでまだ幼い子どもが頑張らないといけないのか。
自分が言われるのが嫌だということもあり、自分の子に「頑張って」はほんとにここぞというとき以外やたらに言わないよう心掛けている。
むしろ「あなたは頑張っている」というような言葉を掛けるよう気を付けている。
どうやら私たち親子にはこちらのほうが合うらしい。
・最初から出来る人なんていないよ~
・ママも出来なかった~
とちょっと適当なくらいを推奨している。
完璧にやろうとする、って自分も辛いじゃないですか。
頑張ってもうまくいかないことも多いし。
なら、うまくいかなくてOKくらいに構えるほうが私はラクに生きられる。
頑張らない訳じゃなくて、緩める大切さをうまく子どもに伝えていきたい。
自分なりにやれることをやって満足いくような毎日を送ってほしい。
皆様の応援あって続けられております!ありがとうございます^^
akari