以前の記事で、夫の差別と偏見がひどいこと・それをどうしても許せなかったということについて書きました。
私がひとりで子どもを育てる(=離婚してシングルマザーになる)と決意したときも、
似たような発言があり、それがきっかけとなりましたので、そのことについて書いてみたいと思います。
結婚してしばらく経ち、子どもを望むようになった私
結婚して、1年ほど経ったときです。私は子どもが欲しくなりました。
実は結婚前には”子どもについて”など、そういった話は一切していませんでした。(なんつったってモラ夫の押し押しスピード婚でしたから,,,)
結婚してからもなんだか恥ずかしいのと、結婚後モラハラ夫に変身した夫を前に、離婚するか考えていたこともあり、子どもについてはなかなか考えられずにいました。
ただ、そのときの私が出した結論は、
”一度離婚してから、再婚して・・・それからでは年齢的に子どもは望めない”
でした。
内面も外見もひどく言われていた私は、すっかり自分に自身を無くしており、
再婚なんて出来るはずないと思っていました。
(今は、努力と運とタイミング次第ではないかと思っています)
なので、夫とこの先も一緒にいようと考えていました。
私の努力でなんとかなる問題だと、このときは考えていました。
紆余曲折あり妊娠
(いろいろあったのですが、ここではその過程は省き)しばらく経ち、私は妊娠しました。
妊娠までの栄養管理・酒を控える・規則正しい生活、など私がしていることに協力してくれるどころか、それを台無しにするようなことばかりされていました。
産婦人科で妊娠確認し、それを報告したとき言われたことも忘れられません。
悔しくて書けませんが、全く喜んでいませんでした。
よく「バイザイした」「涙を流した」「ありがとうと言われた」など聞きますが、どれひとつとしてありませんでした。
そもそも病院についていく、という発想もなかったようですし、病院に行くと伝えていても「どうだった?」などという気遣いの連絡も向こうからはありませんでした。
妊娠後、モラ夫が気にすることはただひとつ
妊娠しても、私をいたわってくれるような行動はもちろん、言葉もありませんでした。
何ひとつ変わりませんでした。
検診にも来てくれませんでした。
ただ、自分から「今日、検診行ってきたんだ」というと、決まって言われる言葉がありました。
「障がいはあるって?」
それだけでした。
他にかける言葉はないのかと、悲しくて悲しくて・・・
だんだんと検診に行ったことを報告するのさえ嫌になりました。
そして夫の命令で検査をすることになりました。
その前に「面談」があったのですが、当然来てくれませんでした。
このとき、産婦人科の先生と話をしながら泣いてしまいました。
帰ったあと、夫に面談の話をしましたが、、、、、本当にひどいことを言われ、
私はこのとき、
”お腹の中の子は絶対に産む。そして私が育てる”
と、決心しました。
これが私のひとりで育てると心に決めたときの話です。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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akari